温泉科学プロジェクト

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HOME 温泉ガイドデスク:温泉メカニズム体験記 第30回 静岡県 修善寺温泉
第30回 静岡県 修善寺温泉
伊豆半島は全国でも有数の大温泉地帯だ。修善寺温泉は、伊豆の温泉の中でも最も早くに開かれたというだけあって伝説に彩られ、渓流桂川の両岸には風情のある温泉街が広がる。富士火山帯に連なる渓谷の地に湧く、古代からの名湯を体験した。
※写真:桂川に架かる朱塗りの虎渓橋が、修善寺に温泉街らしい情緒を与える。

富士火山帯からの豊富な湯
 中部地方の一大温泉地、伊豆。関東地方の一大温泉地である神奈川県の箱根からの地続きで、箱根が富士山の南東に位置するのに対して、静岡県の伊豆は、富士山の南に位置している。
 半島として太平洋に突き出して相模湾と駿河湾を分けている伊豆は、海岸から少し中に入ると山がちで、天城山、達磨(だるま)山などの富士火山帯に属する火山がある。修善寺温泉は、伊豆半島の付け根にやや近い内陸にあって、標高982mの達磨山の東側にある。達磨山は、標高1000mに満たないながらも富士火山帯に連なっているというところが、伊豆らしさを表わしている。
 伊豆半島にある大きな川は、半島の真ん中あたりで周囲の山から水流を集めて北に向かって流れ、駿河湾に注ぐ狩野川くらいだ。この狩野川に注ぐ支流の一つが、桂川という渓流で、修善寺の温泉街は、桂川の両岸に広がる。
 源泉が湧き出すのは、桂川の第三紀湯ガ島層という岩盤からだ。第三紀というのは、地質時代の年代区分で、6430万年前から160万年前の古い地層を指す。

三島から、私鉄ローカル線の
伊豆箱根鉄道で約30分、修善寺駅に着く。
桂川の川中に湧く「独鈷の湯」
 修善寺温泉が、人間とのかかわりができたのも古い。伊豆最古と言われるのは、空海(弘法大師)の開湯伝説があるからだ。807年というから平安時代の初めの頃、空海が、かつては桂谷と呼ばれていた、桂川のこのあたりを巡った時のこと、桂川の岩を「独鈷(とっこ)」で掘ったところ、温泉が湧き出したと言われている。
 独鈷というのは、両端がとがった金属製の仏具の一種。もともとは古代インドの武器だったというから、あるいは岩をうがつくらいはできたかも知れない。なぜ、岩を打って穴を掘ったのかというと、河原で病身の父親を洗う少年の孝行に空海が感心して、岩を打ち砕いたという。いかに体をきれいにするとはいえ、標高も高い渓谷の水では、夏でも冷たいだろうから病身には毒だろう。それが、川の水ではなく温かい温泉の湯なら、これはもう心地良いことこのうえない。
 修善寺温泉の象徴は、今も川の中に湧き出る独鈷の湯だ。川の中洲にある東屋風の建物がそれで、以前は、誰でも自由に入浴できる露天風呂だった。ただ、外からも見えるので女性はもちろん男性でも、入浴にはちょっと勇気が必要だった。それが今は足湯として親しまれていて、ひっきりなしに人が訪れている。

桂川の川中に湧く「独鈷の湯」。空海の伝説が残る。

「独鈷の湯」は以前は入浴できたが、
現在は足湯として親しまれる。
 桂川の両側の温泉街は、それほど大規模なものではないが、落ち着いた雰囲気が好ましい。中心になるのは、独鈷の湯と、朱塗りの虎渓橋、それに空海が開いたとされる修禅寺。修禅寺の対岸には、共同浴場の「筥湯(はこゆ)」がある。かつては河原に沿って共同浴場が7つもあったが、昭和20年代には独鈷の湯だけになってしまったという。そこで2000年に筥湯ができた。筥湯は鎌倉二代将軍、源頼家が入浴したという伝説にちなんでいる。ここには高さ12mの「仰空楼」という望楼が併設されていて、修善寺温泉が好きだった夏目漱石が詠んだ漢詩にちなんだ名前だと言う。

桂川に架かる朱塗りの虎渓橋が、
修善寺に温泉街らしい情緒を与える。

修善寺温泉の名前の由来になった寺だが、
こちらは修“禅”寺と書く。

2000年にできたばかりの
新しい共同浴場「筥湯(はこゆ)」。

桂川の両岸に温泉街が連なる。
奥に見えるのは新井旅館の楼閣「青州楼」。

国の登録文化財となっている老舗の新井旅館。
この建物は「月の棟」。
「木の情緒」たっぷりの湯で温まる
 伝説や歴史にあふれる温泉街の中でも老舗旅館の一つが新井旅館。建物や浴室などの多くが国の登録文化財となっている。新井旅館のいくつかの浴室の中で、こじんまりとして木造建築の情緒がたっぷりの「琵琶湖風呂」を体験した。
 浴室そのものが建物の中でも低い位置にあり、湯舟はさらに石の床をひょうたん形に掘ったようになっている。これは、京都の比叡山上から見た琵琶湖を模したという雅びな趣向だ。浴室の下の方の壁もやはり石づくりで、細長く四角い窓があるが、これは庭の池を底から見えるようになっている窓だ。鯉や小さな魚が時折、目の前を横切る。
 泉質は弱アルカリ性の単純泉。無色、透明、無味、無臭で、刺激が少なく入りやすい。やわらかな湯の感触があるが、どこか芯のあるようにも感じられて、すぐに体が温まり、程良くそれが持続する。
 低い床の、さらに底にある湯舟に体を沈めて見上げると、壁の上方と高い天井は木でできていて、その古く懐かしい感じが心をなごませてくれる。巨大な浴室ではないが、かえって手足をゆっくりと伸ばせる気持ちになる。温泉の愉しさは、まさに五感から入って来るのだと実感した。

計画から3年を要して1934年に落成した
という壮麗な「天平大浴場」。

木々に囲まれ広々した野天風呂は
「木漏れ日の湯」。

右下の四角い窓からは庭園の池の底が
見える「琵琶湖風呂」。

新しくできた足湯付き客室。
桂川をながめながら疲れを癒せる。
COLUMN
  修善寺温泉の開湯からはちょうど1200年ほどだが、人が住み始めたのは、約1万年前の縄文時代からだという。狩猟や採集を主な生業にしていた頃だ。緩やかな清流があり、適度な広さの平地があるのは、大昔の人間にも住みやすかったことだろう。
 さて、平安時代の開湯以前には、温泉はどうだったのだろう。記録が残っていないだけで、縄文人やそれ以前の人々、縄文以降の弥生時代の人々も利用していたということはないだろうか。修善寺温泉に限らず、記録に残らない、あるいは口伝えの伝説にも残らない太古に人々は、温泉を利用していたのか、それならどのように名湯を愉しんでいたのか。どこかにそんな手がかりはないものだろうか。
(取材:岩間靖典)
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